チャンスの神は前髪しかない:フェイスブックで30億ドルを得た者と逃がした者

未公開企業で史上最大の換算時価、というフェイスブックだが、今月のニュースでは650億ドルに達した。この4月で設立7年の未公開企業がソニー時価総額(3兆円)を上回るのであるから、騒ぎにならないほうがおかしい。

フェイスブックの生い立ちから追ってみよう。(以下は各所から収集して得たものであり、情報の正確性には限界がある。)
2004年2月、ハーバード大学1年のマーク・ザッカーバーグは、学内の学生専用のコミュニティを作り「ザ・フェイスブック」と名づけて始めたが、すぐにアイビーリーグの他大学からリクエストがあり、彼らにもサービスを開放する。ザッカーバーグはサイトを始めた直後から起業を考えていた。開始直後の2004年4月にLLC法人(Limited Liability Company)を設立し、2004年夏にはデラウェア州の株式会社(Facebook, Inc.)に改組した。設立時の株式配分で当初の幹部(CFO)であったエドアルド・サベリンと紛糾して裁判になったことは映画「ソーシャル・ネットワーク」にも出てくる。

この次に起こったことが本稿の重要なエピソードである。同年4月、ザッカーバーグとサベリンは地元ボストンのホテルで資金調達のためにベンチャーキャピタルと会合を持った。このVCがボストン近郊を拠点とするBattery Venturesである。二人は2回目の会合でBatteryに出資条件を示し、会社の時価総額は1500万ドル、Batteryの出資額は100万ドルから300万ドルの範囲ならOK、というものであった。この時代のスタートアップ投資とすれば法外な条件ではない。Batteryが300万ドル出資すればフェイスブックの2割前後のシェアを持つことになるからだ。
しかし、Batteryは二人にNOと言った。他のソーシャル・ネットワークサービス(Friendstar)に投資していたし、同社のパートナーがザッカーバーグの言動にカチンときたらしい。どうもそれが拒絶の理由のようである。
そこでザッカーバーグは、仲間二人と一緒に西に移ることになった。2004年7月には開発拠点をカリフォルニア州のパロアルトに移して資金調達を本格化させる。ある手ずるによってサンフランシスコのPeter Thiel(元PayPalのCEO、現在はThe Founders Fundを運営)を紹介してもらい、8月にシールのオフィスで会う。ところが、シールもBatteryと同じくFriendstarの出資者であった。しかし、ザッカーバーグのプレゼンが終わった後で、シールが昼食を食べてこいと彼に言う。ザッカーバーグがシールのオフィスに帰ってくるなり、「投資を決めた。条件も基本的にOK。」という回答をした。9月、フェイスブックは正式にシールから50万ドルのエンジェル投資の資金を得る。このあたりが面白いところだと思うが、シールの投資条件は4ケ月前のBatteryよりずっと良かったのである。すなわち、シールは50万ドルでフェイスブックの約10%のシェアを得ているから、この投資時点での同社の換算時価はおよそ500万ドルでBatteryの1500万ドルの三分の一である。ザッカーバーグがBatteryに蹴られて弱気だったのか、シールの交渉が上手かったのか、真相はわからない。
ともあれ、こうしてシールがフェイスブックの最初の投資家となった。その後のフェイスブックの発展は世の知るところであるが、2005年、2006年にはベンチャーキャピタルAccel Partners他)が合計約4000万ドルをフェイスブックに出資を行った。2007年10月にはマイクロソフトと提携し、同社から2億4000万ドルの出資を得る。この時のフェイスブックの換算時価は150億ドルであった。

最初の話に帰ろう。現在の取引上では、フェイスブックの換算時価は650億ドルである。情報によると増資を繰り返しているためにシールの持株比率は約5%になっているというが、時価650億ドル×5%ならば、シールの保有するフェイスブックの株式の価値は約32億ドル、円換算で2600億円超。つまり、2004年9月に投資した50万ドルが現在は「6400倍」になった計算になる。
シールはまだ株式を売却してないようであるから、この6400倍が皮算用ではあることは確かであるが、おそらく外部投資家によるベンチャー投資とすれば史上最高の倍率であろう。伝説的な倍率といえば、1957年にアメリカン・リサーチ・ディベロップメント(ARD)がミニコンのDigital Equipment Corporationに投資したリターン(約5000倍。7万ドルの出資+200万ドルの融資がDECのIPOで3.5億ドルの価値となる)、1961年にアーサー・ロックがScientific Data Systemsに投資したリターン(約230倍といわれる)を上回るものである。
逆に、ボストンのベンチャーキャピタルは、逃がした魚はあまりにも大きかった。結果論に過ぎないといわれればその通りであるが、Battery Venturesはフェイスブックに100万ドル出資していれば、おそらく20億ドルの価値を得られ、ベンチャーキャピタルとして歴史に名を残すスーパースター・ファンドとなることができただろう。しかし、これは「タラレバ」である。ザッカーバーグがボストンに残って、今のフェイスブックを創りあげることができたかどうか。あれだけの人材や提携企業をシリコンバレーではなくボストンで得られたかについては否定的な意見も少なくない。
”afferrare la fortuna per i capelli.”(運命の女神の前髪をつかめ)とイタリア人は言うが、サンフランシスコのピーター・シールはランチの合間に決断して前髪をつかんだが、ボストンのBatteryはできなかった。もっとも、逃がしただけで大損はしていないから、次なるフェイスブックを獲ようとすればよいのだが、果たして第二のザッカーバーグは現れるものだろうか。
ベンチャー投資は、経験的には大胆さが勝利を得る。西海岸の投資家の積極的なやり方が裏目に出るとしても、それには時間がかかる。シリコンバレーは1970年代以来ボストンをリードしている。西海岸の投資家にはネットバブルの崩壊という天罰があったが、しかしそれ以降も西はさらに東海岸と世界を引き離しているようだ。